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赤い庭の少女たち(12月10日 晴)

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毎週観ている番組は「美の巨人たち」、「世界ふれあい街歩き」、それに、最近再放送が始まった「恋するマンハッタン」。「フルハウス」や「パパにはヒ・ミ・ツ」と同じ、いわゆるシチュエーションコメディ。この手の番組は、とにかく笑わせてくれるのが嬉しい。始まって5秒もしないうちに何か一つ面白いことをやってくれて、見ている側を引き込んでくれる。とにかく常に何かしら面白いしぐさや掛け合いで笑わせてくれて、それでいてひとつ中身のある話になっているのがすごい。そして、外国の女の子はやっぱり可愛い。可愛い女の子は観ているだけで楽しい。 そういうわけで、外国の女の子たちを延々と観て楽しむアニメ「RED GARDEN」が面白い。同じ学校に通っているってだけで、友達でも何でもなかった4人の女の子たちが、回を重ねるごとに、ちょっとずつ仲良くなっていくのがいい。毎日、着ている服が変わるのがいい。友達どうしで学食でつるんでるのがいい。姿勢の悪さ、会話の時の手の動き、首の傾きがいい。女どうしで生々しくいがみ合ったりするのがいい。泣き叫んで逃げまどうのがいい。みんなで誰かの家に集まってご飯を作ったりするのがいい。通販番組で衝動買いしたり、腕立て伏せが1回もできないのがすごくいい。そんなアニメ。今だとGyaOで1-6話が見れたりするので、未見の人はどうぞ。最近、ケイトさんが可愛くて仕方ないや。

学校の再発見(9月14日 雨)

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学校に通っている頃は、制服の良さがわからなかった。学校というのは生活そのものだから、それ自体に格別魅力を感じる事は無かったのだ。学校に通わなくなって数年もして、初めて、ブレザーだの、セーラー服だの、ゆるんだネクタイだの、だらしなくはみ出たシャツだの、ギリギリまで短くしたスカートだの、白や黒のタイツだの、かかとを踏みつぶした上履きだの、そういうのが面白いんだと気が付いた。が、そう考えても後の祭り、いい歳こいた大人となった今では、そうした制服に身近に触れあう機会など皆無である。学生のころに何でもっと良く観察しておかなかったのかと、悔やまれるばかりである。 先日「海がきこえる」を観て、しみじみとそういう事を思った。具体的に言うと、有賀さんを観てしみじみ思った。有賀さんの「スゴイ」乳揺れ、あれは揺れだけを見ればものすごくいやらしい作画なのだけれど、近藤勝也の清潔感のある絵柄でああいう事をやられると、むしろとても健康的に感じられる。ああそうそう、クラスに一人はこういう胸の大きい子、いたよねと、そういう気分になるのだ。そしてまた、当時に何でもっと良く観察しておかなかったのかと、悔やむ気持ちにもなってくる。学校に通っている頃は、乳揺れの良さがわからなかったのだ。 海がきこえるみたいなすごく良いアニメを観て、乳揺れの事しか触れないのもどうかと思うので、もう一言だけ書いておくと、武藤里伽子みたいな鼻っぱしらの強い女の子、大好きです。

鶴田謙二と、尻(9月3日 曇)

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原稿が上がったので、本を買いに行った。徳間書店から出ているアンソロジー「日本ふるさと沈没」である。本当は1か月くらい前、原稿が全然進んでいない時期に買ったのだけれど、そう書くとなんだか原稿をさぼって遊んでいたふうに見えるので、原稿が終わったあとに買ったことにする。 しかしまぁ、表紙が鶴田謙二という時点で、すごくキタナい。卑怯だ。やり口があざとい。だって鶴田謙二のカラーが一枚拝めるかどうか、ただそれだけの理由でさえ、鶴田謙二ファンは何の興味もない本を買ってしまう。導士リジィオだろうが冬の教室だろうが買ってしまう。後に出るであろう画集にもっと大きなサイズと良い印刷で再度掲載されるとわかっていても、買ってしまう。愚か者と、指をさして笑うがいい。 それにしても、80ページ3コマ目のケツといったら、どうだろう! まったく鶴田謙二はジーンズを履いたケツをエロく描くのが上手い。後のシャワーやセックスのシーンよりも、このケツの方がエロいくらいだ。そういえばForget-me-notもジーンズやスカートごしにその存在を主張するケツのラインがエロい漫画だった。いや、その評価は正当ではない。Forget-me-notは胸もエロかった。伊万里マリエルのあの胸のラインときたら、リアルな乳に少し手心を加えた、しかし乳袋ほどファンタジーではない、そんな着衣の胸の描き方に思える。裸の胸をいやらしく描く人は数多いが、乳袋も胸元の露出もなしで着衣の胸をいやらしく描ける作家というのは、そう居るものではないと思う。 という話を以前、某氏にしたら「わっかんないなぁ~、そういうの」と、あからさまな困り顔で一蹴された。そうか、わからんか。うん、まあ、自分でも、何を言ってるのかよくわからないよ。

竹本泉とそばかす(8月1日 曇)

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以前アシスタント先で「マニアックな話でもいいから」と話を振られて困った時、その作家さんが竹本泉ファンだった事を思い出し、こんな話をした事があった。 「竹本さんの最近載った読み切りで、ものを考えずに言葉に出してしまう女の子、葛飾ふじ美ちゃんって言うんですけど、その子の話がすごく好きなんですけど、特に、それに出てくる男の子の小室崎くんっていうのがいて、彼の立ち姿が凄く良いんです。すらっと立った中に、絶妙な身体の傾きが入っていて、その1コマで彼の性格や人となりが表されているというか、とにかく凄く良い傾きなんですよ!」 案の定、作家さんも一緒にいたアシさんもわけがわからぬといった表情で、その場の雰囲気がすごく悪くなったのだけれど、それはそれとして、言わんとしている事はつまり、「よみきりもの」10巻の89ページの小室崎くんの、ひょいと傾げた姿がたまらない、という事である。 竹本泉作品はあまりに数が膨大で、一にわかファンにとってはとても把握しきれるものではないのだけれど、もうひとつだけ印象に残っているものを挙げるとすれば、「乙女アトラス」のハルビの胸元である。ハルビというのは三つ編みにソバカスの女の子なのだけれど、彼女じつは、胸元にもソバカスがある。そこが良い。すごく良い。何がどう良いんだとか聞くな、良いから良いんだ。ともあれそのハルビの胸元に作者のすごいこだわりを感じたのだけれど、しかし、後から描いたであろう単行本の口絵に載っているハルビの胸元にはソバカスが無かったりして、あれ、実は大したこだわりでも無いのかもしれないと思ったりした。 ともあれ、いつかソバカスの女の子が出て来る漫画を描いて、もしもその女の子が胸元をあらわにするような機会に恵まれるのであらば、絶対に、もう絶対にソバカスを付けてやろうと、密かに企んでいる次第である。 ※のちに「乙女アトラス」の続刊を読んだら、あとがきで胸元のソバカスは「こだわりポイント」であるとの記載があった。

公開処刑はお祭り騒ぎ(6月3日 晴)

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19世紀序盤、ヴィクトリア朝になる少し前のイギリスの漫画を描きたいと思ってしばらく図書館に通って資料を探してみた。なんでヴィクトリア朝以前かというと、ひとえに残酷な刑罰のシーンがある漫画にしようと思ったからに他ならない。ヴィクトリア女王の治世の頃には罪人への刑罰は監獄内で行われるようになったが、それ以前は公衆の面前でたっぷり一時間ほどもかけて絞首刑を行っていて、ちょっとしたお祭り騒ぎになっていたという。処刑場の側の見晴しの良い部屋が高値で貸し出され、貧乏人は屋根に登り、立ち見の観衆はこぞって腐った野菜や糞尿を罪人に投げ付けたそうだ。そういう漫画はどうかなー、などと気楽に思い付いて資料を漁っていたのだが、調べてみれば調べるほど、資料の確保や考証が難しく、一朝一夕にはいかない題材だと思い知り挫折した。いつか再挑戦したいと思っているのだが、同じような理由で魔女狩りの漫画を描こうと思って挫折したり、中世都市漫画を描こうと思って挫折したり、少年十字軍漫画を描こうと思って挫折した事がある。いつかなんて言っているようではそんな日はいつまでも来ないって事は、自分が一番よく知っている。