『星をつかみそこねる男』と「やる気」

 


水木しげる氏の『星をつかみそこねる男』という漫画を読んだ。近藤勇および新撰組を題材にした作品であり、氏の調布の家の近くに近藤勇の墓碑があったのが着想だという。妖怪漫画の大家として著名な作家の作品のうちでは、ややマイナーな部類に入るかもしれない。


そんな作品をなぜ、わざわざ読んだかというと、『ゲゲゲのアシスタント』という漫画に登場しており、えらく関心を寄せられたからである。『ゲゲゲのアシスタント』はその題名の通り、水木氏のアシスタントを務めた土屋慎吾氏による同人誌で、水木プロで働いていた1968年5月~70年12月までの2年半の体験を中心に、のちに官能劇画の帝王と呼ばれるまで大成するも警視庁から発禁処分を受けるなど、自身の漫画青春譚が赤裸々に描かれている。また愛知県犬山市での似顔絵屋としての活躍や、コロナ禍にアマビエ画のオーソリティとなる異変など現在の状況もたびたび挿入されており、非常に読み応えがある作品である。今のところ「完全版」「続」「続々」「続々々」の4冊が出ているが、最新の「続々々」以外は入手が難しい状況にある。


さて、話を『星をつかみそこねる男』に戻そう。同作品が実は『続ゲゲゲのアシスタント』に登場しており、すでに土屋氏が水木プロを去ったあとのエピソードとして語られている。当時、水木しげる作品は次々と連載が終了しており、ガロの『星をつかみそこねる男』だけが唯一の連載となっていた。白土三平氏のカムイ伝が終了したため、水木しげる作品が雑誌ガロの柱となっていたが、当の水木しげる氏本人はやる気が出なかったという。経営が苦しいガロから原稿料が支払われなかったのが理由であるが、その一方で水木プロのアシスタントでガロの新人でもあった鈴木翁二氏には原稿料を支払っていたため、一層やる気が失せるのだった。水木氏はそんな中、連載のラフ原稿をアシスタントの山口芳則氏に持たせ、仕上げを依頼していた外注アシスタントのつげ義春氏のアパートへと運ばせる……。


水木「先月の仕上げはあまりよくなかった 今月はチャンバラシーンもあるし気合を入れてやってくれとな…」


つげ氏にそう告げるよう言われた山口氏は、アパートを訪ね、ラフ原稿を渡しながら、水木氏の言葉を伝える。当時のつげ義春氏といえば、すでに『ゲンセンカン主人』『ねじ式』などを発表しており、カリスマ作家として尊敬を集める存在であった。そんな大先生に、水木しげるからのダメ出しを伝えなければならない……。


山口「あのう、水木先生からの注文なんですが…」

つげ「ん?」

山口「人物アップばかりでなく全身も描いてくださいと…」

つげ(ムッ)「それならそうとしっかり描いてくれないと」

山口「チャンバラシーンをもっと迫力を…」

つげ(…………)

山口(まずいこと言っちゃったかな…つげ大先生に)

つげ「文句ばかり多いね 手間賃は下がってるのに…」


緊張感のあるやりとりである。ともあれ『星をつかみそこねる男』という作品について、ネームやラフを描いていた水木しげる氏は、原稿料が出ないためやる気がでなかった。そして外注で仕上げをしていたつげ義春氏も(おそらく手間賃が下がったなどの事から)やる気がなく、水木氏に注意されるような手抜きの原稿をあげていた。すると一体、この作品は誰がやる気があったのであろうか? そんな疑問を抱き、がぜん内容に興味が湧いてきたというのが、この『星をつかみそこねる男』を読むこととなった理由である。分厚く豪華な装丁の『水木しげる漫画大全集』の一冊を購入し、読了したのだが、内容は、果たして面白かった。


『星をつかみそこねる男』は前述したとおり新撰組局長・近藤勇を主人公とした物語であり、彼が片田舎の百姓の息子から武士の養子となり、やがて新撰組を立ち上げ幕末に奮闘するも、最期は処刑される生涯を描いている。基本的に史実をなぞっているが、新撰組を過度に美化した物語とは異なり、粗野で無知な田舎者の集団として突き放した目線で描いている部分が、水木氏ならではの特徴と言えるだろう。また近藤勇の妻を不美人として描いており、この部分は史実の通りなのであるが、『顔の縦長い馬面だが、父親の方がもっと馬面だったため、娘の顔の長さが気にならなく見えてしまい、そのまま結婚した』というくだりなどは、そのまま水木しげる氏御本人が、自身の結婚エピソードとしても漫画に描いているため、脚色であるとわかる。歴史に詳しい方ならこうした部分も判別でき、より楽しめることであろう。


また完全なフィクション要素として、新撰組と近藤勇に付き従った小六という下男の少年が出てくる。まだ幼い子供ながらに時おり非常に鋭いことを口走ったり、登場から最終回までの10年あまりで全く歳をとっていないように見える点など、どこか妖怪めいた存在となっており、その最後の行動などもグっとくるところがある。水木氏が新撰組物語に付け加えたオリジナル要素の中でも、秀逸な部分と言えるだろう。もちろん確かに前述したとおり、人物のアップばかりでの会話が続くときもあり、やる気がなかった(時があった)ことも確かだとは思うのだが……。ともあれ、こうした機会に読むことができて良かった一冊であった。


水木しげる氏とつげ義春氏の関係で、もうひとつ気になることがある。水木氏はつげ氏の漫画と、さらにはつげ氏本人のことを大変高く評価しており、インタビューでもたびたび「自分が最も尊敬するつげ(義春)さんが…」等と名前を挙げている。また最晩年の作品『わたしの日々』でも、出版記念パーティーの会場でつげ氏の姿を探すくだりが描かれており、いつも気にかけている様子が窺えるのだが、一方でつげ氏の方は水木プロ時代についてのインタビューで「水木さんより先に漫画を描きはじめていたから、教わることは何もなかった」「共通点がなかった」「仕事の話しかしなかった」と答えており、水木氏に対してどこか冷たい印象を受ける。水木プロでの関係は雇用主とアシスタントでしかなかったように見えるが、さらに第三者の土屋氏の目から見た『ゲゲゲのアシスタント』では、水木プロで温泉旅行に行った際の帰りに、道端に置いてあったお地蔵さんを見たつげ氏が「実にいい 水木さんにピッタシだ…」「連れていけと言っています」と言い出し、そのままお地蔵さんを水木プロに持ち帰ったという逸話が紹介されている。冷え切った仕事だけの関係だったとは思えないエピソードだが、実際はどうだったのだろうか。水木プロ時代はそれなりに仲良くやっていたのだが、その後に水木氏が妖怪漫画の大家として出世していくにつれて、つげ氏の中では自分が水木氏の弟子だったと思われたり、その影響を受けたと見られることが、あまり愉快ではなかったのかもしれない。


もちろん水木しげる氏・つげ義春氏は両者ともに多大な功績のある巨匠漫画家であり、その作品と人物周辺については詳細な研究をされている方が多々おられる。自分のこうした感想は、上記した2、3の作品を読んでなんとなく思っただけの話であるので、そのまま真に受けないようご留意いただきたい。「『星をつかみそこねる男』は一体誰がやる気があったのか?」という疑問から発展した話題だが、自分も両氏の関係についてはまだまだ興味があるため、他にもいくつか本を読んで、より見識を深めていこうと思っている。ちなみに前述した、水木氏最晩年の作品『わたしの日々』では、水木漫画全集を編集している京極夏彦氏らから自作の中で何が好きかと聞かれた水木氏が、「そんなこと言ったら、今まで描いてきた作品になぐられますよッ!!」「水木サンの漫画は全部面白いんです。」と答えるくだりがある。なるほど、そういうことなのかもしれない。『わたしの日々』の最後のエピソード、93歳になった水木しげる氏が便秘になり、病院で美人女医から摘便をしてもらい「ムフフフフ……」となる話も、確かに大変面白かった。

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